九重連山男塾1〜苦渋への旅立ちと失踪の未亡人〜

九州豊後国。彼の地に男を鍛える道場あり。その名も「九重連山(くじゅうれんざん)」。
古くは遠く唐の国からも多くの武闘家たちが海を渡ってこの地を訪れ、己の男度を鍛える為に厳しい修行を積んだとされる火山道場。その中には1,700mオーバーの山が10座あり、それを全て制覇した者には「くじゅう17(いちなな)サミッター」という称号が与えられ、その称号を手に入れた者は栄誉とともに世の権勢を欲しいままにできたと言われている。
なお、九重(くじゅう)という名は、かつてこの地で最初に修行をした李苦渋の名に由来している。

ーーー民明書房刊『日中武術修行交流秘史〜大友宗麟覚書〜』より

 

第1話 男塾名物「苦渋十七連山」

半年もろくな登山に行けず、すっかり体力と男度がだだ下がってしまったこの二人がついに九州に上陸。

現BBG平社員の田沢慎一郎(左)と、社長である松尾鯛雄(右)の二人である。

彼らはそのたるみきった根性を鍛え直すべく、これより久々にテン泊装備担いで九重連山の修行へと旅立つのだ。

ちなみに、ここに至るまでの彼らの情熱的な行動は前回のプロローグをご参考にしていただきたい。

 

かつて多くの男塾の修行に耐え抜いてきた彼ら。

一応知らない人のために、過去の彼らの激闘の記録を以下に載せておいたのでヒマすぎる方は一度ご覧になってみるといいだろう。

 

松尾と田沢は牧ノ戸登山口より九重連山にその足を踏み入れた。

道は4月の九州だというのに想定外の雪&凍結路。

そんな中、スタートしてわずか1分で早くも田沢に試練が訪れる。

後方から「ぎゃあああッッ!」という断末魔を聞いた松尾が振り返ると、そこにはうずくまって激痛に耐える田沢の姿が。

彼は出発早々、早速ツルツルの道に足を滑らせて激しく臀部を強打。

それでも田沢は「振り向くな!俺のことにはかまわず先に進めぃ!」と男らしく叫んだという。

これが第1の試練「想定外凍結路臀部強打の舞い」である。

 

田沢は基本悪天候男なんだが、たまに快晴になったらなったで毎度多くの代償を支払う男として有名である。

今回田沢はこの二日間の快晴の代償として、強制的に男塾名物「苦渋十七連山」という名の試練に挑戦する事と相成ったのである。

 

「苦渋十七連山」
かつて李苦渋が編み出した修行を元に江田島平八が改良を加えたとされる男塾独自の拷問方法で、九重連山大縦走の間に訪れる「17つ」の苦渋に満ちた試練の総称。あまりにも内容が危険なために通常の塾生では挑戦することすら許されず、選ばれたマゾのみが挑戦できる特別な修行方法。選ばれた塾生は本人の意思とは関係なくこれに挑戦させられ、その身をもってたっぷりと快晴の代償を支払わされることになる。なお、現代においてもその17の試練全てに耐え抜いたものは一人もいないと言われている。

ーーー民明書房刊『世界拷問登山紀行〜李苦渋と江田島平八〜』より

 

早くも一発目の試練を食らった田沢は、「大丈夫ですか!」と駆け寄ってきた松尾に対して「なあに、挨拶がわりに九重連山にヒップアタックを食らわせてやったまでよ。」とにっこりと微笑んで言う。

だが相当強く臀部を強打したらしく、元からある歯痛と四十肩の痛みの三重苦に耐えながら必死の行軍。

そして今回も運動不足と老いのせいで早くもバテバテおじいちゃんになるという情けなさ。

せっかく珍しく晴れてこんな素晴らしい景色が広がっているというのに、

彼にはそれを眺めて感動する余裕は1mmもない。

久々のテン泊装備と体重増加によって、体の重だるさが半端ないのである。

しかも昨日散々みぞれと雪が降って、それが本日大快晴となると登山道はどうなるか?

それは道が激しい「下痢道」と化して猛烈に歩きにくくなってるってことを意味しているのである。

グッチャグッチャと歩きにくいだけじゃなく、靴からゲイターまでがみるみる下痢にまみれて行くという不快感。

基本的に本日の九重連山は、CAさんの「フィッシュorビーフ?」的な感じの「雪or下痢?」と言った二者択一の世界。

普通に歩ける区間など存在しないという男らしさ。

これが苦渋十七連山第2の試練「下痢と雪道と私」である。

 

 

第2話 男塾名物「手男死相撲十番勝負」

ひいひい言いながらも、なんとかその歩みを進めていく松尾と田沢。

もちろん相手は容赦なくガツンと急登パラダイスをスタートさせて来る。

なかなかの急登まみれで、久々のテン泊装備がしんどいのなんの。

田沢に至っては背中に子泣き爺でも乗ってるかのような状態で、今にも圧死してしまいそうな勢い。

しかしグエグエ言いながらも、なんとかその試練を突破すれば眼前にこのような素晴らしすぎる広大な光景が登場。

アルプスの山並みとはまた一味違う、本当にアラスカのようなこの光景。

無理やり二つの写真をつなげてみたらこんな感じ。

これは最高だ。

アラスカ好きの田沢は相当感動していると思いきや、

もう自分との戦いで精一杯なのか、全く景色を見る余裕も気配もない。

実はもう喉ちんこの所まで「俺…もう…別府に戻って…温泉入って待ってるわ…」という言葉が漏れそうな状態。

そこで彼はちょっとペースを遅くしてもらおうと松尾に助けを求めようとした。

しかし相棒である松尾は、今回も容赦なく田沢を置き去りにしてガンガン進んでいくのである。

松尾は田沢がおじいちゃん化すると、毎度躊躇なく見捨てて切り離す道を選択する。

これぞ苦渋十七連山第3の試練「裏切り介護放棄」である。

 

そもそも松尾は「俺、数日前から足痛めてマジやばいっス。多分歩けないっス。」とぬかしていた。

田沢はそれを信じて「松尾が足痛いんだったら今回は追い込まれずにゆっくり行けるな。」と安心していたのに、ここに来て松尾裏切りの絶好調。

ぐんぐんと老人を突き放し、痛みを微塵も感じさせない快調な足取りで1番目の山・星生山山頂目指して突き進む。

もちろん田沢の「もうちょっと…ペースを…落として…」という声は、この壮大な景色にかき消されて松尾には届かない。

そしてついに「くじゅう17サミッツ」の10座のうちの1つ目「星生山(ほっしょうさん)」の山頂に松尾が単独登頂を果たす。

老人を置き去りにした罪悪感も、登頂の喜びを共有しないことにもお構いなく喜びを爆発させる一号生筆頭松尾鯛雄。

遅れてヨボヨボとおじいちゃんが到着。

1個目の山にして、早くも要救助感満載の疲弊っぷり。

しかしこの山頂からの景色はこの身の毛もよだつような美しさで、そんなおじいちゃんも大感動なのである。

所々で噴煙も吹き出して火山群らしい荒々しさと、季節外れの雪も相まって独特の雰囲気が展開。

実に素晴らしい光景だが、男塾が目指すのはただ登頂するだけの現代版「くじゅう17サミッター」ではない。

あくまでも古来のしきたりに則った伝統ある「くじゅう17サミッター」だ。

1000年前に李苦渋がしたとされる3つの儀式を、当時と同じように10個の山頂全てで行わなければいけない。

どんなに疲れていようと、この儀式を怠れば男塾の塾生は即刻切腹なのである。

 

儀式一.「山頂数字寫眞」

ここが10座あるうちの何番目の山なのかを体を使ったモジモジくんスタイルで表現するべし。

星生山は「1」。

 

儀式二.「山頂表現寫眞」

山の気を感じ取り、山の名前をその全身を使って表現するべし。

星生山のテーマは「星が生まれる瞬間」である。

説明を書かないとわかりにくすぎるが、これは分娩台の妊婦(田沢)が星の赤ちゃん(松尾)を産み落とした瞬間だ。

逆子なので非常に難産だったことが窺える。

 

儀式三.「手男死相撲十番勝負」

九重連山の神々に対して各山頂で奉納する手押し相撲。

150年前までは本当に相撲を取っていたが、あまりに危険で死者が絶えなかったため江田島平八によって改良考案された男塾名物。

現在の「一号生筆頭」は松尾だが、もし田沢がこの十番勝負で勝ち越せば一号生筆頭の座は田沢のものになる。

すでにヘロヘロの田沢だが、この十番勝負は絶対に勝ち越したいと意気盛んなのである。

 

それでは「第一番 星生山場所」

始めィ!

 

さすがは横綱である。

足が痛いと言いながらもモンゴルでサッカーやってただけのことはあり、手負いの状態でもあっさりと田沢の猛攻をしのいだ。

しかも田沢に至ってはまだルールがよくわかっておらず、よく見ると実は開始1秒の段階で勇み足ですでに負けている。

野郎二人が山頂で手押し相撲をやってる絵面は非常にシュールそのものだが、彼らは彼らで常に真剣で命がけなのである。

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ユーコンカワイ

低体温・低血圧・低収入というギアレビューにもってこいの人体サンプル。いつも顔色は土色だったり汗冷えのスペシャリストだったりするが、今日も持ち前のマゾん気を武器に山に川にと出没する。 素材がどうとかの専門的な事より、フィーリングやロマン重視のあまり役に立たないギアレビューを得意とする男である。