例えば後で食べようと楽しみにとっておいたケーキがあったとする。もしあなたがそのケーキを予定外のタイミングで食べる羽目になり、挙句にそのケーキが想像以上に不味かったらどんな気分になるだろうか?
今回はそれと同様の気持ちで「白峰三山」の縦走路に突入し、そしてボロボロに砕け散って行った男の物語。これは壮大な南アルプスを目一杯使って繰り広げられた白き悲劇の一部始終なのである。

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白を愛し、白に愛された男

その男がずっと憧れ続けていた縦走路がある。

それは「白峰(しらね)三山」と呼ばれる、日本標高2位北岳ー3位間ノ岳ー15位農鳥岳を繋ぐ縦走路。

そこは彼が長年「いつか確実に天気が良い日に行こう!」と、楽しみにとっておいた南アルプスが誇る王道コースだ。

しかしその憧れのコースの入り口に立った彼は、すでに満身創痍の状態で目も虚ろ。

なぜあんなにも楽しみにしていた白峰三山の登山を前に、彼はこうもぐったりしているのか?

その謎を解くには、話を約9時間前に戻さねばならない。

 

プロローグ:そんなヒジリに騙されて

実は元々彼は白峰三山に行く予定ではなかった。

本来は白峰三山よりはるか南部の「聖岳(ひじりだけ)」に行く予定だったのだ。

そこでは「茶臼岳-上河内岳-聖岳の大縦走をかまし、そしてそのまま大井川源流部をパックラフトで下ってくる」という大冒険をする予定だった。

彼はその「聖パックトランピング」を成功させるべく、この日のために綿密な計画を立て、準備をし、ようやくこの日を迎えたのである。

しかも彼には珍しく、このスペシャルな天気予報。

まさに台風一過のハイパー登山日和。

これでもはや楽しすぎる冒険は約束されたようなもの。

彼を遮るものはもはや何もないかに思われた。

 

しかしその登山起点である畑薙ダム駐車場に後わずかと迫った山奥の道。

そこには暗闇の車の中で、頭を抱えて絶望にまみれる彼の姿があった。

その彼の目の前に展開していたのは、「通行止」の文字とともに完全封鎖された畑薙ダムへの道。

はるばる5時間以上車を走らせて、あと少しって段階で突きつけられた圧倒的な絶望。

そう、台風5号は去って行ったが、その爪痕はしっかりと彼の計画を根底から打ち砕いたのである。

 

もう聖岳への道は完全に閉ざされた。

現実を受け止めきれず、この場でプルプルと30分ほど微動だにしなかった男。

すっかりテンションダウンして「もうこのまま厄払いでも行こうかな…」って気分になっていたが、このまま帰ったら、高い交通費を払って往復11時間もかけて通行止めの看板を見にきただけになってしまう。

そこで代替え案として浮かんだのが、ここから一番近い奈良田からスタートできる「白峰三山縦走」だったのである。

 

ただ一番近いって言っても、その通行止めから奈良田まで実は「4時間以上」もかかるという追いまさか。

幽霊でも出そうな暗闇のクネクネ道を何時間も突き進む厳しさで、挙句その道の途中でガソリンのエンプティーランプが点灯するという地獄。

今ここでガス欠になったら、41歳にして恐怖のあまり本泣き&脱糞することは間違いない。

晴れの予報が出てしまったばかりに、今回は代償として「現場にすらたどり着けないかもしれない」という恐怖が襲いかかる。

そこから仮眠含めて何時間もエンプティーのまま走り続け、ようやく早朝開店のGSに辿り着いて九死に一生を得た男。

安堵の表情を見せるが、すでにこの時点で精神的な疲労はピークに到達。

仮眠しかしてない状態で長時間のクネクネ暗闇ドライブをガス欠の恐怖とともに走り通しただけあって、もはや12ラウンド目のボクサーのようにフラフラだ。

 

それでも彼は「せっかく快晴が約束された3日間だ。いつか快晴の時にと楽しみにとっておいた白峰三山…ここで行かねば絶対に後悔する!」とその疲労困憊の体に鞭を打ち、意地だけであの登山口に到達したわけなのである。

これが彼が登山前なのにグッタリしていた真相である。

何はともあれ、まさかなトラブルから一転、こうして予定外の白峰三山に突入して行くことになった男。

登山口にして早くもデスゾーンの住民と化しているが、果たして彼が楽しみにとっておいた「ケーキ」は甘いのか、それとも辛いのか?

彼のサクセスストーリーはここから始まるのである。

 

第1章:進め!大門沢ロング急登行軍

ついに私は念願だった白峰三山の登山をスタートさせた。

聖パックトランピングができなかったのは悔しいが、それでもこの頭上の大快晴が我がテンションをアップさせる。

しかし白峰三山は普通、広河原から「北岳-間ノ岳-農鳥岳」と縦走してきた人が大門沢から下山して奈良田に至るコースが一般的。

私は、まあ“諸事情”あって奈良田からの逆走コース。

故に「地獄の下山」と呼ばれる大門沢ルートを「登り」で行く羽目になるのだが、大して下調べしてないこの時の私はその辛さをまだ知らない。

 

そして早速、渡渉困難な大増水の沢に直面して早くも撤退ピンチに。

ここに至っても台風5号は私に恩恵を与え続ける。

濡れた岩でツルツル滑るソールの靴を履いたまま、泣きそうになりながらなんとか大ジャンプで越えて行く。

その後も危なっかしい区間を果敢に越えていくが、

この大門沢の樹林帯ハイクがもう長いのなんのって。

スタートした時点で「10時間近いドライブ&仮眠しかしてない」状態の私は、何度もグロッキー状態に陥る。

またこういう景色の見れない樹林帯での快晴率が異常に高い私は、この灼熱の太陽にどんどんスタミナを奪われて行く。

それでもひたすらひたすら登り続けるが、さすがに疲労と眠気の限界に達して大往生。

行き倒れの「リアルドラえもん」に見えるが、羽虫が鬱陶しいからスコーロンのフードを被らないと寝れないのだ。

ここで40分ほどこの状態で本寝をかましたが、他の登山者に見られていたとしたら変死体として報告されていたことだろう。

 

しかしこの日好き好んで登りの大門沢コースを選ぶ人は私以外にはおらず、その後も孤独で地味でハードな行軍は続いた。

で、ヘロヘロのままなんとか大門沢小屋に到達。

行程的に農鳥小屋まで行くのは無理なので、初日はここでテン泊。

時間がたっぷり余った分、今日は沢釣りをメインイベントとする。

で、早速近くの沢に出撃するが…大増水で全く釣りにならず。

どこまでも私のやることなすことに楯突いて来る台風5号の爪痕。

それでも諦めずに唯一流れが緩やかなわずかなスポットに毛針を投げ入れると、まさかのビッグヒット!

自己ベストとなる28cmの泣き尺イワナを釣り上げ「うほー!うほー!」と狂喜乱舞。

しかし今思えばこの時がこの旅における「ピーク」だった…。

この1匹で全ての運を使い果たした私は、以後イバラの道を歩んで行くことになるのである。

 

その後ほとんど釣りもできず、何もやることがなくなって夕方には寝てしまう。

おかげで体力はしっかり回復し、二日目、再び大門沢との一騎打ちだ。

起き抜けからバッキリ折れた橋などの激しい攻撃で命を奪いに来る大門沢。

しかも木の根と石ころ満載の急登が何時間も続き、回復した体力をみるみる奪って行く。

またこの時も予報通り凄まじい快晴で、灼熱地獄の樹林帯急登行軍。

この日も2度ほど途中で行き倒れ、

蘇生してはグッハグッハと登り続けるを繰り返すマゾモーニング。

とにかく長く、そして辛すぎる登りの大門沢。

しかし稜線が近づくにつれ、樹林帯の隙間からとんでもない大快晴と富士山のお姿がチラ見せしてくる。

稜線に出たら、一体どんな素晴らしい景色が待っているのか?

一体どれだけ素敵な縦走ハイクになってしまうのか?

もうそれだけを励みに、歯を食いしばって一歩一歩根性だけで登って行く。

 

そしてついに稜線に到達!

喜びのあまり、そこにあった鐘を「カーンッ」と鳴らした瞬間…

突然稜線上にガスが大流入。

あれほど青かった空はあっという間にモクモクに支配された。

まさにほんの一瞬の出来事だった。

稜線からの素晴らしい景色だけを励みに頑張り続けて生きた私に突きつけられた、残虐なるホワイト乱舞。

辛かった大門沢ハイクアップが終わり、さあ!これから夢の絶景大縦走だ!っていう矢先の出来事。

灼熱の快晴で散々樹林帯を泳がされ、稜線に出た瞬間に光を失うといういつものパターン。

我が襲来を告げる鐘を鳴らしてしまったのが全ての敗因だ。

 

私はプルプルしながら、もう一度鐘を鳴らした。

もちろん白は晴れることなく、ただ虚しく響いたその鐘の音は静かにモクモクの中へと消えて行った。







 

第2章:希望を胸に!農鳥岳〜間ノ岳編

諦めたらそこで試合終了だ。

あれだけの快晴天気予報、まさかこのモクモクがずっと続くわけがないじゃないか。

その希望を胸に、ついに私は憧れだった白峰三山の縦走路へと足を踏み入れた。

やはり憧れの白峰三山のホワイトはどこか趣がある。

苦労して快晴の樹林帯を登ってきた私には最高のご褒美だ。

そして念願だった三山の1座目「農鳥岳」を制覇。

山頂からの眺めは実に素晴らしいホワイトだ。

やはり我がアルプスはこうでなくてはならない。

この報われなさを楽しむのがオレ流アルプスよ。

 

さあ、ここから間ノ岳までの稜線がまた最高だっていうじゃない。

今までの苦労が吹き飛ぶくらい、噂通り絶景の稜線だ。

なあに、この先の風景は想像すればいだけのこと。

今回諸事情によって聖岳には行けなかったが、正直聖岳だろうが白峰三山だろうが景色はどうせ同じだ。

要はその人の持つ想像力がすべてよ。

 

やがて到達した西農鳥岳からの眺めなどは、息を飲むくらいの壮大な絶景が広がっていた…

と、イマジンしてみる。

ただどうしても表情だけは往年のウインクのように無表情になってしまう。

ここですれ違った若い登山者に「白いっすね…」と言われ、ついつい正直に「俺たちは今一体なんのために歩いてるんだろうな…」と言ってしまったが、それは一時の気の迷い。

天気予報は晴れなんだ。もう一度確認してみよう。

ほら、目の前の景色とちゃんと一致してるじゃないか。

気の持ちようだ。

心に巣食う現実という闇に足を取られたら、一気に絶望の世界へと引きずり込まれるぞ。

気を引き締めていくぞ!

 

やがて白の先の方に農鳥小屋が見えてきた。

噂ではあそこのオヤジは双眼鏡で登山者を眺めては「歩き方がなっとらん」とか色々チェックする人らしい。

そこで私はここからポールを仕舞い、両腕を組んで「さもできる人風」な雰囲気を醸し出しながらハイペースで小屋を目指した。

しんどいほどのハイペースだったが、そのオヤジに褒められたい一心での根性スピードハイク。

でも散々気張った挙句、小屋に着いたらオヤジは中で「熟睡」していました。

縦走の景色も見れず、楽しみにしてた農鳥のオヤジは寝姿しか見れず。

どうにもイメージしていた白峰三山と違う気がしてならない。

 

そしてここからは縦走路のくせに、ズギャーンとそびえる間ノ岳への急登パラダイスがスタート。

さすがにこの急登を登りきった頃にはこのホワイトも消え去っている頃だろう。

とにかく諦めない者にだけ光は差すのだ。

この世に報われない努力なんて存在しない。

さあ、視界はどんどん開けて行って、間ノ岳に向けた夢と希望のヴィクトリーロード。

そしてついに念願だった「間ノ岳」に登頂である!

背景は一点の曇りもない純白!

そしてここからの眺めがまた絶景だぜおい!

やはり標高三位の山から見る絶景は、筆舌に尽くしがたいものがある。

 

・・・一体私は前世で何をやらかしたんだろうか?

なんでいつもアルプスをソロで縦走するとこうなるんだろう?

しかも絶対に晴れる日に行こうって楽しみに取っておいた白峰三山に、晴れ予報の日にやって来てこれって。

こんな形で白峰三山縦走童貞を失いたくはなかった…。

 

しかしまだ最後の一座、北岳が残っている。

終わりよければすべてよし。

諦めたらそこで試合は終了なのだ!

 

白峰ホワイト大縦走 〜後編へ続く〜